常磐線各駅停車は常磐線の北千住駅から取手駅までの複々線部分(厳密には綾瀬〜取手間。北千住〜綾瀬間は東京メトロ千代田線)の緩行線に当たり、綾瀬駅において東京メトロ千代田線と相互乗り入れを行っている。(代々木上原駅まで直通運転。一部の列車はその先の小田急線へも乗り入れ。<小田原線の伊勢原駅および多摩線の唐木田駅まで>) 本項では上野駅から取手駅までの快速線および中距離列車に対して、綾瀬駅から取手駅までの各駅停車部分について記述する。北千住駅から綾瀬駅までの区間は東京メトロ千代田線を参照。 運行内容千代田線と一体となっている関係から、主な運行内容は代々木上原駅および小田急線方面から綾瀬駅を経由して、我孫子駅までの運転が中心になっており、取手駅までは朝と夕方のみの運転になっている。基本的な内容は全列車、東京メトロ千代田線ならびに小田急線へ乗り入れている関係で、JR線より地下鉄線といった感覚のある路線になっているのが特徴的な路線である。全区間が複々線になっており、特に北千住〜綾瀬間については快速線と緩行線との事業者が異なっている(快速線:JR東日本・緩行線:東京メトロ)。その為に北千住〜綾瀬間の運賃の取り扱いにおいて、メトロ運賃かJR運賃を適用するかで異なっている。(詳細は後述) 運行車両現在の運行車両常磐緩行線で運用されている車両は東京メトロ千代田線へ乗り入れる為に、すべて直通対応形式の車両になっている。これらは地下線内における万が一の緊急時に備えての貫通ドアが付いていることが特徴になっている。運用している車両はJR車両ではE233系2000番台、メトロ車両では16000系、小田急車両では4000形がそれぞれ運用されており、取手駅および我孫子駅から綾瀬駅、代々木上原駅を経由して、小田急多摩線の唐木田駅および小田急小田原線の伊勢原駅まで乗り入れている[1]。かつての主力だった203系車両や207系900番台は新型車両のE233系電車によって置き換えられ、2011年までに営業運転を終了しているほか、209系1000番台も2018年10月に営業運転をそれぞれ終了している。 車両運用では末尾のアルファベット記号にて運用する車両が決められており、JR車両(E233系)は「K」、メトロ車両(16000系)は「S」、小田急車両(4000形)は「E」となっている。(→交通新聞社発行「MYLINE東京時刻表」にて確認ができる。)
過去の運行車両
209系1000番台千代田線や常磐緩行線の増発を目的に1999年に登場したJR東日本の車両。当時増備されていた209系車両の地下鉄乗り入れ版であり、前面左側において非常貫通扉が設置されているのが特徴である。こちらは小田急線への乗り入れには対応されておらず、従来通り常磐緩行線から千代田線の代々木上原駅までの乗り入れ運用を専ら受け持っていた。2018年10月をもって千代田線および常磐緩行線運用から撤退し、中央快速線へ転属する予定。 203系1982年に登場した当時の国鉄(→JR東日本)常磐緩行線からの乗り入れ車両。201系を基本に貫通ドア付きで製造されている。当時の国鉄運用車両であった103系車両が非冷房であることや、地下線内における抵抗熱からの発熱などによる評判の悪さを解消させるために登場し、同時に103系を置き換えるためでも登場している。国鉄時代の1986年までに10両編成17本が製造され、常磐緩行線から千代田線への直通で運用された。2011年にE233系へ置き換えられて運用を終了し、一部の車両はインドネシアやフィリピンへ渡って活躍している。 207系900番台国鉄最末期の1986年に登場した205系の貫通ドア付き車両。当時の国鉄最後のVVVFインバータ制御を採用し、1編成だけが製造されたことや試作的な存在であったことから希少価値な車両であった。203系と共通で運用され、常磐緩行線から千代田線への運用に活躍していた。E233系への置き換えによって2009年12月に営業運転を終了し、2010年1月に廃車され、国鉄型における廃系列となった。 103系1000番台千代田線の開通とともに登場した国鉄時代における、初代の乗り入れ車両。非冷房であったことで地下線内における抵抗熱からの発熱などによって、千代田線内においては極めて評判は悪かった。その後1982年から1986年にかけて203系へ置き換えられて、運用から撤退している。 東京メトロ(営団)06系千代田線の輸送力増強を目的に有楽町線の07系(当時、現在は東西線へ転籍)とともに1993年に登場した車両で、1編成だけの存在といった希少価値の車両であった。6000系車両と基本的に共通運用されていたものの、千代田線内系統におけるメトロ運用は6000系がほとんどであり、06系を見かける機会は極めて少ない存在であった。6000系を置き換えるところまでには至らずに1編成だけで活躍していたが、2015年に運用を離脱したうえでその年に廃車および解体され、千代田線における消滅形式となった。 東京メトロ(営団)6000系当時の営団地下鉄初の電機子チョッパ制御車両として1968年に登場した千代田線の長年における主力車両。試作車も含めて1968年から1990年までに36編成353両が製造された。2010年からは16000系への置き換えによって老朽廃車が始まり、すでに電機子チョッパ車は全廃となっている。なお試作車の6001F編成は当初から小田急線への乗り入れは行われていない。16000系の増備によって順次廃車され、2018年10月5日に定期運用を終了し、11月11日の臨時運用を最後に引退している。 営団5000系千代田線の開通時における当時の営団地下鉄車両。北千住駅から綾瀬駅まで延伸された1971年から1981年まで運用された。その後は北綾瀬線や東西線へ異動したが、2015年現在はこれらの路線においても既に運用を終了している。 北千住〜綾瀬間の運賃の特例1971年に当時の国鉄(現:JR)常磐線へ乗り入れの為に北千住駅〜綾瀬駅間が開業し、同時に常磐線の複々線化(当時は我孫子まで)が完成したものの、当時の営団地下鉄の綾瀬への車庫確保目的や国鉄における建設費削減が一致した為に、この区間を国鉄から営団へ移管した他、常磐線の快速電車が綾瀬駅に停車しない為に運賃関連については様々な問題が起こっている。この為に現在でも北千住駅〜綾瀬駅間の扱いにおいては乗車内容によって地下鉄運賃を適用するか、もしくはJR運賃を適用するかなどが複雑になっている。 ここでは、具体的な例を以下に挙げる。 (地下鉄運賃を適用)
(JR運賃を適用)
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常磐線各駅停車 駅一覧
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